このアルバムについて

<私にとってオリジナル曲は>

 私は長い間、高校時代から今に至るまで、実に50年以上も自分の歌を書いてきた。
その時々に思ったこと、感じたこと、そしていろいろな思い出。誰に聴かせようとするわけでもなく、それでも忘れてしまうこともなく。コード付きの詞は残し、たまには譜面を残し、時々は歌って校正を加えたり、多重録音をして聴いてみたり。そうやって書きためた歌は(数えたこともないが)多分100曲は超えているだろう。
 私にとって自分の音楽は「自分の心のゴミ箱」みたいなものだったのだと改めて思う。誰のためにでもなく、自分が自分に聴かせる歌。逆に言えば歌を作ることによってその時の自分が何を感じているのかを自分で整理整頓するため。ある人は小説を書き、ある人は彫刻をし、ある人は絵を描きながら、みな自分を模索しているのであろうが、私は音楽でそれをやっているのである。

20年ほど前に作ったCDジャケット。もっと以前はカセットテープで多重録音していたが、この頃はMDの時代。録音はTEACのタスカムシリーズを何世代に亘って使ってきた。

<今回CDを作ることになった経緯>

 実はもう10年以上前に還暦記念にCDを作ろうと思いたち、アウトドア仲間であった新潟のM君に同じ新潟でレコーディングスタジオをやっているイチローを紹介してもらい、彼に本格的なレコーディング用のPCを組んでもらった。自宅で録音してそれをイチローに送り、編集してもらえば良いからである。
 しかしもとより怠惰な私は、慣れないアップルPCだったこともあって、何曲か遊び程度の歌は録音したものの結局はまともに完成させることもなく、特にこの5年ほどはPCも開かなくなっていた。イチローには7年前に岐阜にSalt&Pepperの音響設備を作ってもらったりはしたが、音楽的な付き合いよりお互い行き来してそれ以外の遊びに現を抜かしていただけだった。ただし歌だけは時々思い浮かんだ詞を書きとめ曲を付けたりはしていた。
 そして去年の春ごろだったか、イチローがポツンと「佐古さん、そろそろ葬式用のCD作りましょうよ」と言ってきた。なんでもイチローの葬式にかける曲は3年前に作った“Yes Ⅰ Do”がある。だから私も一度ちゃんとしたCDを作って、葬式の時に皆に聴いてもらいましょうよということらしい(笑)。
 このなんとなく説得力のある申し出に乗せられてその気になった私はつい同意したが、実際作るとなると今更どうやって作ってゆくのか見当もつかない。最近の歌はギターよりピアノで歌うことが多いし、ギターだって二度のバネ指の手術にもかかわらず指が以前のように曲がらず一部のコードは押さえることもできない。幸い一時出なかった声はS&Sのビートルズライブでなんとか出るようにはなっていたが。その逡巡の末、私はある考えに行き着いた。
 それはピアニストに手伝ってもらって伴奏してもらい、私が歌えばなんとか形にならないか?という考えである。その手伝わされるピアニストにどれほどの迷惑がかかるか…ということはその時はあまり考えていなかった(笑)。で、最終的に私の頭に浮かんだ可哀想なピアニストが吉田真由香だったのです。彼女は自分のファーストCD「つなぐ」をSalt&Pepperでイチローに録音してもらっていたので3人とも面識があったし、一見素直そうな子なので私の頼みを無下に断る確率も少ないだろうと踏んだのである。
 で去年(2020年)の6月、真由香に連絡して私の曲のピアノ編曲及び演奏を依頼したのである。彼女は当時私が思っていた以上に仕事が忙しく時間的にも大変だったようだが、私の依頼を快く受けてくれた。私は早速自分で撮った演奏動画6曲を歌詞とともに彼女に送った。そしてこれがこのCD製作の第一歩だったのである。

<そして実際の録音>

 お互い忙しいこともあって結局出来上がった伴奏を実際聴いたのは9月の初めだった(その時には7曲になっていた)。彼女はいわゆる「入り込む」タイプの音楽家で、私の不味い動画を何度も聴いて歌詞を理解し、感情移入して伴奏を作ってくれていた。まあ素人の歌なんだから適当にコードを合わせてチョイチョイって作ってくれても良かったんだが(笑)、一曲一曲かなり凝った演奏を付けてくれていた。ほんとに有難いことだが、この忙しいピアニストに時間を割かせること自体に申し訳なさが募ったのも事実である。Salt&Pepperのピアノで二人で練習合わせをして、その月の後半、イチローを岐阜に呼んで最初の録音(ピアノ)をしたのである。そしてその間にイチローに頼んでドラムとベースはN-TRIBEであらかた作ってもらっていた。
 私の仕事は録音された音源を自宅のソフト(pro tools)に取り込み、ストリングス演奏やギター演奏を加え、肝心の歌を練習することだった。言うまでもなくほぼ完璧なプロの演奏に自分の演奏を乗せるのは難しい。いい加減なところはすぐにイチローに見つかる(笑)。とりあえず形だけ作って、最初に歌を録音したのが12月、新潟のスタジオN-TRIBE。ここで何曲か録音したのだが、実際スタジオで録音するのは非常に良い!詳しくは書かないが、自宅の一人録音とは大違いであることが分かった。イチローとの付き合いは長いが、そのスタジオで歌ったのは初めてだったなあと、奇妙な感動を覚えながら歌ったのである。
 その後ミキシング音源を自宅に送ってくれて、私が演奏を付け加えたり、直したり…そうこうしているうちに12月と1月と2月に新しい歌3曲が出来た。久し振りにオリジナルに向き合った自分の感性が高まってきたのか、三つとも良い曲だったのでCDに加えたいと思い、真由香に再度頼んで「オフィーリア」をピアノ編曲してもらった。あと二つは「不思議な人」と「やっぱりあなたが」であるが、これは簡単だから全部自分で演奏しよう(笑)。そうこうしているうちに結局14曲となり、ちょっと感情が交錯している2曲は外して、最後は12曲に落ち着いたのである。

<CD完成まで>

 今年の6月の後半、真由香にも参加してもらって新潟で録音。その前にも打ち合わせをしたり、一緒にピアノの前でアレンジを考えたり、曲を作り上げてゆく楽しさっていうのかな?これはけっこう贅沢な遊びだなあと思いながら楽しんでいました。真由香には初めての新潟をイチロー夫婦も交えながら楽しんでもらえてよかったと思いました(新潟の酒も)。もちろんピアノレコーディングは一発OKでした。
 あとはもう歌です。一番大事な歌です(笑)。二日間かけてじっくり、この時にほとんどの歌を歌いました。歌い方も確定はしていなくて、歌うたびに気になる発声や歌い方も考えて…もうこれ以上はうまく歌えないと思ったテイクがOKテイクです。こればっかりはもうどうしようもありませんね。でももういいです、私は全力で歌いました(笑)。あとは演奏の細かい不出来を直す作業だけですね。
 実際イチローは音にうるさい(笑)。まあ当たり前だとは思うが、ここはテンポが悪いだとか音が(和音が)濁っているだとか、いちいちいちゃもんを付けてくる。こちとらは素人なんだからまあ適当でいいじゃないかとも思ったりしたが、実際に直すと良く聞こえるから不思議だ(笑)。自分で分からないところは真由香を呼び出して自宅のPCの前に座らせてピアノとストリングスの不協和音を直してもらったこともある。夜中の1時まで彼女が頑張って、私は下で一杯飲んで寝ていたこともある(ごめん)。でまあ何とか聴けるようになって、最後の打ち合わせが9月23,24日。気になるところを直したり、もう一度歌いなおしたり演奏しなおしたりする曲もあったりで二日間を過ごし、いよいよ出来上がり…
 かと思われたが(笑)、岐阜に帰ってからが結構厄介だった。イチローが仕上げのマスタリングデータを送ってきて「ほんとにこれで良いですか?」と聞いてくる。こちらはこれが最後かと思うと、焦る(笑)。ちょっとこのベースが大きすぎるんじゃないか?とか波の音が小さいんじゃないか?とか…。まったく歌に限らず作品を完成させるということは大変なことだ。イチローは我慢強く私の言う通り編集作業をしてくれてその都度データを送ってくれる。だいたい自分の歌なのだからどこで完成だと決めるのは自分自身なのだ。その自分がけっこう曖昧模糊としているのが非常にイラつく(笑)。一ヶ月間、毎日朝晩、何度歌を聴いたことだろう。こんなことは生まれてこの方はじめての経験だ。いっそ打ち合わせに新潟にもう一度行こうかと思ったくらいだ。
 でも、やっと見切りが付いた。すなわち完成した。それが10月の半ば過ぎであった。ホッとしてイチローに(葬式用のCDが出来たので)もう死んでも良いわとラインで言ったら、「え、来年はバンド作ってレコーディングしましょうよ!」と言ってきた。いいヤツである(笑)。

 真由香ちゃんありがとう。君のピアノが無かったらまったく退屈になってた曲もあるし、何より私の歌に真摯に取り組んでくれて本当に嬉しかった。イチロー君、今度作る時はもうちょっと手がかからないように真面目に演奏するね!やり方少し覚えたし(笑)。

<裏側から見たアルバム解説 by イチロー>

 私は今まで制作したアルバムについて振り返ることは一度もないのですが、
簡単に制作レビューを記してみます。
 まず、制作にあたり・・・
 私はそのアーティストや、楽曲が好みであるかどうかとか、その曲への想いとかをほぼリサーチしないで制作に取り掛かります。
 これには訳がありまして・・・
 まぁ大体皆さん熱い想いがあるのです。それを受けてしまうと、こちらとしては「そこそこのテイク」でも情に絆されて「まぁいいか」と、自分の判断基準がゆるくなりそうでして。(苦笑)なので、佐古さんのアルバムも敢えて想いは聞かずに制作に取り掛かりました。
な~んて言っても知り合って10年、なかなか濃いお付き合いをさせていただいたので十分満腹なほどアルバムへの想いは伺っているのです。

これ以降は
「各歌詞ページの」の最後に追加したいと思います。

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