禁煙日記改め卒煙日記 


2001/7/03 (朝)

 6/26日に本屋で「禁煙セラピー」という題の本を買う。英国のALLEN CARRという人の書いた本で、副題に「読むだけで絶対やめられる」とあった。実はその一週間ほど前に、私はすでにその本を発見していた。パラパラとめくり、目次をざっと眺め、目に付いた記事を流し読んだ。そして少し逡巡したあと、結局買わなかった。しかしその一週間後、もう一度その本屋に行く機会があった時、私は今度はためらわず、その本を買った。なんとなく気になっていたのだ。

 本の内容についてはおいおい書くが、半分ほど読んで、私は自分の心がもう禁煙に向かっていることに気がついた。そしてとりあえず、昨日の夕刻にタバコが切れたのを機会に、もう買わないことにした。つまり禁煙に踏み切った。


7/04 (朝)

 昨日は、もちろん、何度かの「衝動」に襲われた。食事の後、会社の机に座った時、ホームセンターで買い物をして出てきた時、車に乗った時…自分が今まで、何かを始めたり、し終わった時に、習慣として煙草を吸っていたことが分かる。

 私は自分に言い聞かせた。「タバコ以外のことは、何も変わっていないんだ…それ以外は何をやってもいいんだ…」 衝動が起こって、少し我慢すると、衝動は治まってしまう。本にも書いてあったが、いわゆる「ニコチン中毒」というものの禁断症状はほとんど無い。吸わなくても手が震えたり、脂汗が出たり…なんてことは無い。私の場合は昼下がりに、頭の芯が少しボーッとした程度だが、煙草を吸ってる時もそんなことはあったから、別段、どうということは無い。

 禁断症状が無いのに、何故皆タバコが止められないのだろうか…。それは本に従えば、「心」が無用なパニックを起こしているに過ぎないらしい。そんな気がしないでもない。心が別なことに向けられている時…タバコのことは忘れている。


7/05(朝)

 食事が美味くなった。単に味をよく感じられる…という意味ばかりではなく、タバコを吸う人は多かれ少なかれ、食後の一服を楽しみに食事をしているふしがある。つまり早く食ってしまって早くタバコを吸いたい・・・と、極端に言えばそんなことを半ば潜在的に考えながら食事をしているものだから、本当の意味で食事を楽しんでいないのだ。タバコをやめると、食事そのものが楽しみになる。

 精神力で禁煙するのは難しいと「本」に書いてあった。精神力でやめようとするのは、「我慢」をしてやめるということだから、ズーッと我慢をし続けなければならない。「なぜタバコを吸う必要があるのか」というところからはじめて、ニコチン中毒の本質を知り、「やはりタバコはやめるべきだ」と感じ、やめることを喜びとしてやめるのが一番だ。簡単に言えばそんなことが書いてある本である。

 私は何とか今年中にタバコをやめたいなぁ・・・と以前から思っていた。それにはちょっとした訳がある。


7/06 (朝)

 タバコをはじめて吸ったのは、高校2年の確か冬だったから、もう33年間も吸い続けたことになる。ざっと計算しても300万円ほど使っている。こんなに金を払って自分の体を悪くしているのだから、…これは、笑い事では済まされない。

 この間、小さな禁煙は何度もあるし、公言して禁煙したことも2度ほどある。最長で2ヶ月しか持たなかった。5年程前に友人と賭けて(つまり最初に吸ったほうが1万円払うという)、禁煙してみたが、ちょうど一ヶ月たった頃に二人とも我慢できなくて吸い、痛み分けとなった。こういうことをやっていると、自己嫌悪に陥る。「自分は意志が弱い人間だ」と思うのである。その時も「もう公言して禁煙するのは止めよう」と固く誓った。言っておいてやれないのはみっともないし、何より自分に対して嫌気がさす。大体「最初に吸ったほうが…云々」というのは、それを決めた時点で、すでに「吸うこと」を前提としている。夏にどてらを着てコタツに入ってやる「我慢比べ」と大差無いことをやっているわけで、そんなものは長続きしない。たかが1万円で何ヶ月もどてらなど着ていられない。

 タバコが吸いたくなったら、今まで吸ってきたタバコのことを考える。考えてみれば、タバコを本当に美味しいと思って吸ったことなど今まで殆ど無い。習慣として吸い、タバコが切れると心に起きるパニックのせいで、タバコを買いに走り、一本火をつけた段階で、(パニックが消えたことによって)ホッとする。その「ホッとする」という気持ちを、喫煙者は「美味しい」と感じているだけなのだ。これは実に妙な感覚であり、どう考えても変だ。やはりこれが「中毒」というものなのだろう。

 そうそう、なぜ私が今年タバコを止めたかったのか…。それはポールマッカートニーも50歳を区切りに禁煙したことを知っていたからである。


7/07 (朝)

 よく禁煙の時にガムや飴玉を代わりに噛んだり舐めたりする。口が淋しいから、という理由である。しかしこれはあまりよくない。私が感じたのは、飴玉はともかく、ガムみたいにクチャクチャやるものは、かえってタバコを吸いたいという欲求を喚起させる。ましてや禁煙パイプなどもってのほかである。本にも書いてあったが、つまり、代替品を使うということ自体が、もうすでに「我慢」している状況なのであって、我慢をすればするほど逆に吸いたくなってくるのである。かえって何も口にしないほうがいい。

 先輩のM氏も何度か禁煙を試みているが、前回は、飴玉をしゃぶり、禁煙パイプを吸い、挙句の果てに実際に火をつけて吸う喉の薬(薬局で売っている)を「これはタバコではないから…」と理屈をつけて吸い、それも不味いものだから、結局いつしか、気が付いたら…元の木阿弥であった。所詮代替品は「吸いたい」という気持ちの裏返しであって、「吸いたい」という気持ちを無くさない限り、禁煙は出来ないのである。

 今のところ、私の禁煙は快調に推移している。正直言って朝食の後、とか、コーヒータイムとかに未だ少し淋しい感じがするが、30年以上も吸い続けてきたのだから、それくらいは仕方が無い。それくらいは、我慢である。むしろ出かける時にタバコの心配をしなくてもいいのは、ずいぶん身軽になった気がしている。


7/08 (朝)

 タバコは社会の害悪である…と散々言われてきたが、実際そのとおりだ。健康に良くないのはもちろんで、第一喫煙者自身もそれは分っている。分っていて止められないのだから、喫煙とは惨めな行為である。しかし誰でも自分を惨めだと思いたくないので、こんなふうに考える。

 「タバコを吸わない人でも、肺ガンになって死んでしまう人もいる」とか、「タバコも酒もやりたいだけやって、90歳まで生きた爺さんもいる」と、例を挙げて、「だから人間なんて、死ぬ時には死ぬのだから、好きなことをやっていればいいんだよ。」と開き直る。実際私も以前、こんな新聞記事に目を輝かせた覚えがある。それは「タバコを止めた人の1年後の健康状態は、喫煙していた頃と比較して、禁煙のストレスによる食べ過ぎなどにより、悪くなっていることが多い」という記事である。この記事は喫煙する者にとっては福音書となった。私も何人かにこのことを言った。「だから、禁煙は逆にストレスを生むんだよ。」 …私は納得してタバコに火をつけた。私の心から、ストレスが消え、リラックスし、タバコもなかなかいいもんじゃないか…とさえ思えた。

 ストレスが消え、リラックスできて、美味しいものだ…とタバコに効用があると感じるのは「錯覚」に過ぎない…と「禁煙セラピー」は断言する。なぜなら、非喫煙者が絶えずストレスを感じ、イライラしていますか?。そんなことは無いでしょう。逆にタバコの吸えない状況に置かれた喫煙者こそが、イライラし、ストレスを感じているのですよ。つまり問題は、イライラした後タバコを吸うと(ニコチンを体に取り込むと)イライラが消え、それがあたかも人生におけるストレスをタバコが消してくれた…と思い込むことです。でもそんなことは無い。そのイライラとかストレスは、タバコそのものが起こす中毒症状なのだから…。つまりその堂堂巡り、悪循環を喫煙者は繰り返しているだけなのだ。

 つまり、タバコを止めればそのストレスからも開放されるのだ。

 この理屈がわかった事が、私にとって大きな収穫だった。


7/10 (朝)

 タバコをやめて一週間。以前の禁煙より、格段に楽だ。昨夜も同級生と飲みに行ったが、横でタバコを吸われても、平気だった。全く吸いたいとは思わなかった。もっとも、その場には4人いて、私も含めて3人が吸わないので、吸ったのは1人だけである。同世代の喫煙人口は確実に減っている。みな、健康や周囲の状況から、禁煙しているのだ。ただ、最近は女性の喫煙者が増えているため、タバコの販売本数が激減することはないようだ。

 タバコ臭い女なんて最低だ。勝手な言い草だが、自分がタバコを吸っている時からそう思っていた。


7/12 (夕)

 「禁煙しました!」ともう発表してもいいかな?と思えるくらい、タバコが吸いたいとは思わない。・・・しかしもう少し待とう。やはり1ヶ月は止めてからでないと、さまにならないだろう。それに何ヶ月、いや、それどころか何年も止めていて、再び吸い始めたという話はけっこうあるのだ。私の友人にも5年近く止めていて、吸い始めたヤツがいる。こういう場合、再び禁煙するのがいっそう難しくなる。

 それでも私の場合、一日に何度か、タバコのことを考えているから、やはりまだまだである。最初の頃と比べて、タバコのことを忘れている時間が長くはなってきているが…。


7/17 (朝)

 昨日自分の子供たちに禁煙を勧めたが、受け入れられなかった。私が吸っているのを小さい頃から見ていて、吸い始めたのだから、私の責任でもある。少し胸が痛んだ。タバコが美味い、と感じているようで、この時期は止められないかもしれない。誰でもまず、「嫌だ」と思わなければ止められるものではない。しかし「止めよう」と思い始めた頃には、止められなくなっているのだ。


7/24 (夜)

 ちょうど3週間が経った。本には3週間がひとつの目安だと書いてあったはずだ。ちょうどニコチンが体からなくなるのもこの頃だ。最近部屋の空気がきれいである。これは非常に気持ちのいいことである。パソコンを触っている時が一番タバコを咥えている時だった。ひとつを書き終えて一服。次に読み直して、一服。狭いPC部屋には煙が充満し、私はその中で咳き込みながら、それでも次のタバコに火を点けていた・・・。冬には喉が痛くなり、舌の付け根が痺れたように痛んでいたが・・・それでも吸い続けていた。なぜこんなことを続けていたのだろう。金を払って、自分の体を悪くし、周りの人に迷惑を与え、ストレスを感じ・・・タバコってひとつもいいことがないではないか!。

 金で思い出したが、日本の国がタバコで得る税収は1兆円ほどである。これは一種の「悪業」である。こんなに税収を得ているから、「タバコ禁止」とは言えない。麻薬や覚醒剤は取り締まるくせに・・・タバコは嗜好品扱いである。麻薬や覚醒剤で死ぬ人の数より、タバコで健康を害し病気になり、死ぬ人のほうが圧倒的に多いのだ。タバコを吸い続けて90歳まで生きた人の陰に、タバコが原因で病気になった人が100人いることを忘れてはいけない。


7/31 (昼)

 ほぼ一ヶ月が過ぎた。今から思うと、2〜3週間目あたりが精神的にちょっと危ない時期であった。この頃になると、体調が良くなってくる。私の場合はいつも感じていた「喉のガラガラ感」が無くなり、肺や食道辺りの圧迫感というか違和感が無くなり・・・つまり今まで喫煙によって痛めつけられていた箇所が自然に、徐々に、治ってきたのであろう。

 「タバコは健康のバロメーター」なんて馬鹿なことを言ってた時期もあった。それはつまり、体調が良い時はタバコも旨い・・・という意味なのだが、喫煙者なら何度か経験があるだろう。逆に、風邪をひいたりした時に吸うタバコが非常に不味いものであることも、喫煙者なら良くわかっていることだ。だから、上に書いたように、体調が戻ってくると、それを思い出し、「あぁ、いま吸ったらウマイだろうなぁ・・・」とつい思ってしまうのだ。

 本にも書いてあったが、この頃に一本吸ってしまう人がけっこう多いらしい。理由は「もう止められただろう・・・」と思い、実験で一本を咥えるのだそうである。そしてそのときのタバコは非常に不味いと感じられ、「あぁ、もうこんな不味いものは吸わないぞ・・・」といったんは思うのだが、実はそれが「元の木阿弥」になるパターンであるらしい。この時期に一本を、たとえ実験だとしても、吸ってしまったらもうおしまいである。次の二本目に火を点けるのに、さほどたいした理由は要らない。このことは私もすでに経験済みだ。

 私の場合も、それだけは我慢した。いや、ほんのいっときの我慢である。そのうちその「我慢する」という行動にだんだん慣れてくる。心では「こんなに健康に悪く、人にも迷惑なものはもう止めるのだ」と強く思っているのだから、こんな程度の我慢はたいしたことじゃない。

 そんなこんなで一ヶ月が過ぎた。


8/01 (朝)

 禁煙はそんなに難しいことじゃない。「もう、吸わない」とさえ思えば、少なくともなんの苦痛もなく、止められる。だからといって、「いつでも止められるさ!」と思って吸い続けているのは愚の骨頂。吸うと回りも含めてイヤなことが一杯起こるけれど、吸わないと、毎日が気持ちよく過ごせる。

 ひとつ思ったこと・・・。禁煙したことをもともと吸わない人に言ったって、なんの感慨も、ほめ言葉も返ってこないこと。彼らにとっては禁煙など当たり前のことだから。それに喫煙者に禁煙をしたことを言うと、一瞬、動揺するのが分かる。あとの反応は、人さまざまだ。もうひとつ、自ら禁煙した人に、それを話すと、「よく止められたね・・・」といって褒めてくれる。多かれ少なかれ、その辛さが分かっているからだろう。

 とりあえず、今日、HP上にのっけることにする。


8/06 (昼)

 今秋、「禁煙飴」なるものが一般的に市販されることになったみたいだ。これは以前からあった「ニコチン入り飴」のことで、医者の処方が無いと買えなかったものが、買えるようになるそうだ。しかしこういう代替品については、前にも書いたが、かえって禁煙を辛いものにするだけだと思う。体から早くニコチンを追い出さなければいけないのに、それを与えつつ喫煙を我慢するのは大変だと思うからである。ニコチンそのものの禁断症状は殆ど無いのだから、ニコチンをわざわざ吸収することは無いのである。「だましだまし…」のやり方は、成功率を低下させるだろう。


8/29

 タバコを忘れている時間が多くなった。いいことである。この時間がどんどん長くなればいいのだ。どんな時でも、まったく吸いたくないかと言えば、それは嘘になるが、喫煙地獄から抜け出せた喜びのほうが大きい。何度も書くが、タバコの奴隷になっていた自分が許せないのである。コレはもう、ヒルやスズメバチよりもたちが悪い。軽い気持ちでタバコを吸い始めてしまった人が、私を含めてほとんどだろうが、知らず知らすのうちに奴隷になってゆく。あんな詰まらない物の奴隷に!。吸えなくなると思うと感じるパニック感は幻想だ。吸わなくても、何も起こらない。


9/03

 タバコを長い間やめていて、再び吸ってしまった人に理由とかそのきっかけを聞いてみると、参考になる。私の友人で、4年ほどやめていて、再び吸い始めたKがいるが、そのきっかけは入院であった。その直前まで、私が助手席でタバコを吸うと「コラ、やめろ!」と叫んでいたヤツである。そのKがある時腹が急に痛くなって病院に行った。ところが原因が分からない。・・・痛みはますます激しくなる・・・。入院した次の日も、痛み止めの注射は打ってもらったものの、原因が分からない。不安になったKは、これは尋常な病気ではない、きっと末期癌だろう、と考えた。あぁ、俺はこの年で癌で死んでしまうのか・・・そしてふと思ったそうな。

 「どうせ死ぬなら、最後に一服、タバコ吸ってやれ・・・」と。

 3日後、原因が分かった。前の夜に食ったホタルイカの刺身についていた寄生虫(アニサキス)が起こした腸閉塞だった。ホッとした彼は、しかしその後タバコをやめることもやめてしまった。量も以前より増えてしまった。そして再び肺がんの恐怖を抱きつつ、暮らしている。

 この気持ちは分からないでもない。死刑囚が死刑になる前に欲しいものを聞かれて、「タバコ」と答える気持ちにも通じている。確かにタバコにはこんな奇妙な雰囲気もある。それは否めないが、しかし、Kのとった行動はやや軽率だった。彼はやはり心の中で我慢をしながら、禁煙していたのだろう。禁煙できたことの喜びより、禁煙の我慢の気持ちのほうが強かったに違いない。


9/13

 先日初めて、憧れだった(笑)ホテルの「禁煙室」に宿泊した。隣で吸われても未だ気にならないが、ホテルなどの狭い部屋にこびりついたあのすえたタバコの臭いは吸ってた頃からイヤな臭いであった。ともかく私は快適な禁煙室に宿泊した。これは特筆事項である。


9/29

 禁煙ではない。こんな呼び方をしているものだから、皆、辛いのだ。卒煙ですよ、卒煙。30年以上タバコの奴隷になってた自分を反省し、新しい自分になるのです。3ヶ月が経った。


10/17

 タバコをやめるには、タバコを嫌いにならないと、いや、嫌いと言う程度じゃなく、タバコを憎まないとやめられないかもしれない。男女関係に似ているかも。未練があるうちは離れられない。だからいろいろな理由を並べ立てて、タバコそのものを嫌いになれば良いのである。


11/15

 もう書くこと無いよ。思ったより簡単にやめられた。ただ、今までを振り返ると、一ヶ月目頃が一番危なかったな。精神的に。最後に今後のために、このことだけは肝に銘じておこう。

「一本吸ったら終わりだぞ〜!」


12/03

 昨夜、夢でタバコを吸っていた。いやぁ・・・ヤバイヤバイ・・・(笑)。実は禁煙して一ヶ月目ぐらいにもそんな夢を見た。その時は夢の中で「見つかったらマズイぞ・・・」なんて思いながら吸っていた。心の奥底にまだ「吸いたい」という気持ちがあるのだろう。もう大丈夫だと思った頃が一番危険な頃かも知れない。注意しよう。一応5ヶ月が経過した。

 今日本の喫煙率は男性52パーセント、女性13パーセントらしい。


12/17

 禁煙をして気が付いたことがもうひとつ。コーヒー、コショウ、唐辛子・・・など以前大好きだったモノ(いわゆる刺激物)を摂ることがが比較的少なくなった。というか、それぞれが持つ刺激性を以前より感じるようになった。逆に言えば以前はそれだけ鈍かったということかも知れない。タバコによって舌にある味蕾が馬鹿になっていて、素材の持つ味が分からなくなっていたのであろうと考えた。以前ある人が「タバコを吸う料理人など料理人の風上にも置けない」と書いていたのを思い出す。少しは当たっているだろう。


2002/01/30

 本当に困ったものである。最近になって再びスポーツジムに通い始めたら、また吸いたくなった。確かにスポーツのあとで吸うタバコはいつも美味かったので、それを体が思い出すのだろう。実際半年、一年目あたりが一番危ないかもしれない。

 <禁煙とは魅力的な悪女との決別である。>

 分かれて何ヶ月か経ってみると、いい思い出ばかりが脳裏をよぎり、つい電話をかけてしまう・・・あぁ、なぜ我々は分かれねばならなかったのか・・・初心を忘れ、煩悶が続くのである。心ではなく、体が求めている・・・。

 そんなことを感じている時に、たまたま借りてきたビデオの中に「インサイダー」があった。登場人物が誰もタバコを吸わない映画である。観終わって、私は禁煙したことが正しかったのだということを、再確認できた。フ〜ッ。良かった良かった。


02/08 

 今朝の新聞に「タバコの害」と題して、喫煙する人の死亡率は喫煙しない人と比べて男1.6倍、女1.9倍であるとの調査がまとまったという記事が載っていた。そしてこの調査は4万人以上の人々を対象に10年間、厳密に行われた調査の結果であるとし、大事なことは、禁煙をした人はその効果が (病気によっても若干違うが) すぐに現れると書いてあったことである。つまりすぐに禁煙の効果が現れるのだから、「もう遅い」ということは無い、とハッキリ書いてあった。「もう遅い」というのは喫煙者、特に高齢の喫煙者に多い言い訳のひとつである。今すぐに、タバコを止めなさい!!


03/26

 もうひとつ禁煙して良かったことに気が付いたので書いておこう。

 たとえば何か作業をしている時、タバコを吸わないと作業そのものに集中できると言うことだ。木工などをしている時、以前の私は木を切っては一服、削っては一服、磨いては一服…と、ことあるごとにタバコを吸い、作業を中断していた。これは非常に効率の悪いことであって、これが仕事なら、吸わない人と比べれば休んでばかりいるわけで、仕事量に於いてもその差は歴然としている。実際事務仕事でも、現在は事務所自体が禁煙になっていることが多いからタバコを吸いに喫煙場所に出向かねばならず、それだけで吸わない人と比べると仕事量が違ってくるのである。それに大の男が数人寄り固まって、空気清浄機の設置してある前で時間を気にしてスパスパやっているのはどう見ても惨めに映る。はっきり言って見苦しい光景である。コレがいやでタバコを止める人も多いと聞いた。こんなタバコは美味しくもないだろう。

 回りにも迷惑をかけ、自分をも惨めにする…こう考えると喫煙にはひとつもいいことがない。禁煙してもう9ヶ月が経過した。


06/05

 先日の新聞に「肺ガン患者」の手術後でさえ、禁煙者と喫煙者では再発率が違う事が分かったそうだ。先回、禁煙には遅いということはない・・・と書いたが、喫煙によって肺ガンになった人さえ、その時点でタバコを止めれば、治りも早いということがわかったということである。逆に言えばそれほどタバコは体に悪いということなのだ。

 私の友人に酒は毎日あおるように飲み、その上タバコは一日3箱以上をパカパカ吸っていた元気モノ(?)がいたが、先日足が痛くなり病院に行くと、タバコの吸い過ぎによる血管扁平症で、悪くすると足が壊死を起こす危険性もある恐ろしい病気であった。考えてみれば、若いうちは体が耐えられても、これからが無理が祟ってくる年齢なのだ。彼はとりあえず「減煙だ」と言っていたが、前にも書いたが、減らすのは止めるより難しい。止めればいいのだ。

 


07/10

 そういえば一年が経過した。なんとか、禁煙成功と言えるだろう。私の師匠のM氏も止めた。今三ヶ月目で、一番シンドイ時期だ。先日会ったら、禁煙パイプを咥えながら、「いやぁ〜吸いたくてしょうがないよ、ハハハ」と笑っていた。友人のKも3度目のアニサキス症で入院したのをきっかけに、止めた。今一ヶ月半…というところだ。知人の何人かも止めたし、なかなかいいことである。車や部屋の空気がきれいだということは、気持ちのいいことである。
 後は自分の子供たちが止めてくれることを願っている。半分は私のせいでもあるからだ。


10/20
 一ヶ月ほど前に、長男(24)がタバコを止めた。禁煙セラピーを貸してくれと言ったので喜んで買ってやったら、それを読んで止められたようだ。あとは長続きして、私が今感じている『肺がきれいになった喜び』みたいなものを感じてくれるのを期待している。この感覚を感じ始めると、禁煙したことに対する喜びの感情が湧いてくるのだ。で、改めて禁煙セラピーをつらつら読み返してみると、最初は感じなかった色々なこと(感情的なこととか、後で気づくこと)が一杯書かれていることに気が付いた。最初私はこの本を流し読みしていたのだと改めて思ったしだいである。
 先日もひょんなことからこのHPを見ていただいた方からメールを頂き、これを読んで禁煙をする気になったと書いてあった。こんなことも私にとっては嬉しい出来事である。


2003/7/18

 そうそう、もう2年が経過した。早いものである。もう吸いたいとも思わないが、時々懐かしい・・・といった感じで、人の吸っているのを見ることはある。

 この間に、私の周りで多くの人が禁煙をした。今数えてみると10人ほどが現在禁煙中である。私の諫言が効いたのか、みな頑張って一本も吸わずにそれぞれ『禁煙してもう何ヶ月だ・・・』とか言いながら、笑っている。そう、タバコを止めるということは、楽しいことなのだ。何故なら、吸っていた人のほとんどは、実は内心、タバコをやめたくてやめたくて仕方が無かったのだ。だから、それを実行するということは、少々辛いことではあるが、それ以上に禁煙の喜びを感じているのである。経験上、3ヶ月禁煙できれば、ほとんど成功だと思う。逆に禁煙宣言したのち、挫折している人もいる。彼らは意志が弱いと言うより、『喫煙が自分の心のイライラを消してくれる』という間違った考え方を捨てられない人である。


2003/12/3

 先日の新聞に喫煙率の統計が出ていたので書いておこう。男2387万人(48.3%▲0.8p)、女721万人(13.6%▲0.4p)である。12年連続で減少している。いずれも30代が一番多く、男59.9%、女20.9%である。地域別には北海道が一番喫煙率が高く、本数は平均で男22.9本/日、女17.2本/日であるらしい。タバコをやめて2年半が経過した。今では近くで吸われるといやな気分になり、咳が出る。家では来客も禁煙だし、職場も基本的に禁煙。車にお客さんを乗せても「禁煙ですから」と吸わせない。以前を思えば勝手なものである(笑)。しかしこれが正解なのだ。


2004/07/4

 丸々3年が経過した。ううむ・・・書くことが無い・・・。あえて書くと・・・禁煙しても吸ってしまう人もいるが、やっぱりそれは『我慢禁煙』だからなんだろうね。我慢して禁煙するとストレスがたまりますよ。だから、我慢じゃなくてちゃんとタバコを嫌いになってやめないと、なかなか禁煙が続かないかもね。先般スウェーデンだかノルウエーだかが国内中禁煙にしてしまった。やっぱり北欧は社会が進んでるよね。こんなことが決まるってことは国民全体の意識が高いってことだ。日本は技術とか金儲けは進んでいるけど、社会通念というかモラルはずいぶん遅れてるよね。


2004/12/08

 先日珍しく酒場に付き合わされて行ったのだが、家に帰ってみたら服からズボンから髪の毛までタバコの臭いが染み付いてしまっていて閉口した。コートは外に干し、服やズボンはすぐ洗濯。自分もすぐに風呂に入って頭を洗った。タバコを吸っていた頃は「嫌煙権」などという言葉を軽く捉えていたが、実際吸わない人にとってみればタバコは迷惑以外の何ものでもないのだ。レストランで飯を食っていて横の席から煙が漂ってくるのも不快なものである。「何故お前のタバコの煙を私が吸わなければいけないのか!」という気持ちが頭をもたげてくるのは当然である。最近禁煙席を設けているレストランや喫茶店が増えているのは好ましい。先日イタリアンレストランで食事をしようと入ったら、禁煙席が満席だった。仕方なく喫煙席に座ったが、「喫煙席なら空いておりますが・・・」と店員が大声で言うせいもあるかもしれない、座った喫煙席では最後まで誰もタバコを吸わなかった(笑)。


2005/04/03
 今日の新聞にJTが大々的に広告を出していた。TVでも「喫煙マナー」を中心に宣伝しているJTだが、要は喫煙マナーが最近どれだけ上がったか・・・という広告であった。曰く。
 「歩道などに吸殻を捨てない」58.6%(前回調査より1.6%up)
 「人通りが多い道で歩きながら吸わない」74.8%(同2.6%up)
 とまあこんな調査結果を載せているのであるが、私流に解釈すると、以下の結果になる。
 「歩道などに吸殻を捨てない」58.6%→捨てている 41.4%
 「人通りが多い道で歩きながら吸わない」74.8%→吸っている 25.2%
 「吸殻を排水溝に捨てない」51.7%→捨てている 48.3%
 「吸殻を捨てる時、消火を確認している」69.8%→確認していない 30.2%
 「駅のホーム、喫煙場所以外で吸わない」89.3%→吸っている 10.7%
 「灰皿が無い屋外で吸わない」45.2%→吸っている 54.8%
 「子供がそばにいる時は吸わない」58.4%→吸っている 41.6%
 「車の運転中に吸殻を外に捨てない」76.6%→捨てている 23.4%
 「歩道で吸う時も煙の行方に気をつかっている」41.5%→つかっていない 58.5%
 日本はちょっと遅れていませんか?JTは一体何を言いたかったのだろう。???


2005/07/01

 まるまる四年が経過した。ずいぶん遠い昔のような気がする。やめた当時は正直「オレは本当に一生タバコを吸わないんだろうか・・・」と、やめたと決意したにもかかわらず、別の自分が心のどこかで自問していた。しかし今は本当に「やめて良かった」と思っているし、実際健康面でもそれを感じている。先日定年退職を期に禁煙をした人と話をしていたら、「三日で喉のゴロゴロ感がなくなったよ!」「飯が旨くなったよ!」「荷物が減ったよ!」とまあ・・・おおはしゃぎであった(笑)。ゆえに太ってしまったと嘆いてはいたが、そこですかさずスポーツを勧めておいた。そう、皆その道を進めばよいのだ。タバコをやめて健康になり、ご飯がおいしくなって太り、これではいかんとスポーツで汗を流す・・・このパターンを皆踏んでゆけばよいのだ。そして真に健康な老後を暮らそうではないか。


2006/09/02

 もう禁煙自体が当たり前になっていてこのページがあったことすら忘れていた(笑)。友人と飲みに行ったりした時、いまだ喫煙している時代遅れがいると、周りから散々非難される。「あっちに行って吸え」とか「お前が吸うのは勝手だが、周りの人間がなんでお前の煙を吸わなきゃならんのだ!」とか、それはもう可哀想なくらいである。口から煙を出すときに横や上を向いてそっと吐いたり、風向きを気にしたり・・・それだけの目にあっても止めないのは、何故だろう。「オレはやめたいと思わないからね!」これが一番多い言い訳である。やめようと思えばやめれるかもしれないけどね・・・という意味を含んでいる。「本当はやめたいけどやめられない」という状況が惨めだからそう考えるのである。嫌煙権の主張も根付いたようだし、実際タバコで命を無駄に失った人も多いし、四の五の言わずにこの際きっぱりやめたらどうでしょうかねぇ・・・。たった一ヶ月の辛抱ですよ、禁煙は。


 

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