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ミナマリ狂騒曲  台湾編   


 台湾の空港に降り立ったマリ(左)とミナ・・・ミナは我々が通っているスポーツクラブのエアロビクスのインストラクター、マリはその熱心な生徒。我々は(特に私は)熱心でない生徒・・・である。付き合いは6年ぐらいか。助手を含め4人でいろいろなところに遊びに行ったが、いつもはしゃぎ回って賑やかなので連れて歩くと退屈はしない。ただし、この3人はいつしか恐怖の「お買い物クラブ」を結成しており、景色を見るよりもショッピングが真の目的だから注意が必要である。

 10時にセントレアを発って12時過ぎには台北に到着する。 近いということはいいことだ。時差は1時間。出迎えの現地ガイドがとりあえず案内したのがこのお茶屋。やり方(売り方)は中国とまったく同じで、手際よく上手にいろいろなお茶を飲ませてあとで店に案内するという寸法だ。以前中国でたくさん買って、結局捨ててしまったという経験を持つ私たちは何も買わなかったが、ここ台湾の人たちも「中国の食品は農薬や添加物が入っているから」と、自国産を買うらしい。台湾人の中国本土への感情を差っ引いても、このあたりは日本的である。

 このあとミナマリが希望した101タワーに行き、展望台まで昇る。とにかくこういった都会の商業施設に連れて行けば喜んでいる。単純と言えば単純なやつらである。 キャアキャアと騒ぐのは彼女らの得意技だが、それを封じるのは簡単だ。何もない田舎に連れて行けば良いのである。山を見せるとミナはまだしも、マリは必ず寝てしまう。

 台北は土地が高く、一般サラリーマンはとても住めないらしい。あとで不動産屋の張り紙を見ると、確かに2LDK〜3LDKクラスで4000万円〜6000万円ぐらいしている。日本人の感覚からすると東京に近い価格だ。台湾は面積は九州とほぼ同じ、人口が2300万人、台北市にはその1割強の260万人が居住している。だから台北市の郊外にはマンションが一杯建っている。

 中正紀念堂・・・蒋介石を偲び建てられたが、近年蒋介石がかつて人民を多く殺しているという点から独裁者であり、英雄ではないという気運が高まり、台湾民主紀念館と名称を変えて蒋介石像も撤去されるという。 時代はいつも移り変わってゆく。

台湾名物カラスミ

台湾風煮豚

 夕食はえらく賑わっている店に案内された。なかなか美味しかった。若いヤツらは美味しい美味しいとパクパク食べて、我々はそれを見ながら少しづつ摘む・・・食事は年代の差を感じさせてくれるが、やはりよく食べる連中と食事をすると楽しい。

 食事のあとファミリーマートを見つけて喜ぶミナマリ。特にマリはコンビニ大好き人間である。売っているものを熟知しているのでそれとの比較や漢字の表現が面白いらしい。ちなみに台北はコンビニだらけで、冗談でなく150m間隔で存在している。スターバックスも異様に多い。

 夜市見学・・・こういうところは面白いが、ここはとんでもなく混雑している。本当に歩けないくらいの混雑だ。年末の土曜ということもあるだろうが、それにしてもひどい!。夜市は台北市内にはいくつかあるが、ここは服飾品が多い市である。あとの夜市は食事の出店がメインらしい。

果物もこんなふうに売られている

 さっそく買い漁るお買い物クラブのメンバー。私は彼女らについて周り、写真を撮ったり金を払ったりするだけで、まったくの蚊帳の外。商品を見ても何がなんだかさっぱり分からない。最近少しは分かるようになったと思っていたが、甘かった。異国の程度の分からない商品については判断の下しようがない。すっかり疲れてホテルに向かい、グッスリ眠る。

 翌朝のホテルのバイキング。旅行というのはこの朝食というのが曲者で、普段ならコーヒーとトーストぐらいで済ましている朝食がバイキングだとこんな具合になる。おまけに昼も夜もコース料理ということになると、その摂取カロリーたるやとんでもないことになるのだ。しかし目の前にご馳走が並ぶとついつい手が出てしまう・・・。

 朝食のあと台北の北の海沿いの町、九分にむかう。昔のゴールドラッシュ街だが、アニメの「千と千尋の神隠し」のモデルになった町並みと言ったほうが通りがいいかもしれない。ほら、お父さんとお母さんが食べ過ぎて豚になってしまった町。

 だから置物もこんな具合。この豚の顔も見覚えがあるでしょ?

臭豆腐・・・試す気にもならない匂いである。

これなんの店だと思います?

 この現地ガイドの候(コウ)さん、なかなか実直で好感の持てるガイドでした。何でも大学で日本語を勉強してガイドになったそうで妙にお世辞を言ったりはしゃぐガイドではなく、きちんと仕事をする人でした。

 台湾初の映画館。左の出窓からはかつて娼婦が顔を見せて客を呼び込んでいた。金鉱で大いに賑わったこの街の繁栄振りが分かるだろう。当時は台湾中の旨い物と美人がこの街に集まり、だから映画館も初めてここにできたのだった。その後ゴールドラッシュの終焉とともにこの街は凋落し、誰も住まなくなったが、近年それが観光地として復活したということだ。

4人で1羽のダッグ

 昼食は北京料理。ペキンダッグは食いきれずに包んでもらい、ガイドさんに差し上げた。ここの料理もなかなか美味しかった。友人の旅行社にこの旅行を企画してもらったが、食事は全てアタリだった。

 台湾はおみくじが盛んなことでも知られている。しかも日本のようにお遊びではなく、けっこうみんな真剣に占ってもらっている。いくつかのおみくじがあるようだがこの行天宮のおみくじも有名らしい。私はやらなかったが、ミナマリはもちろんじょしゅもやった。

 まずおみくじ番号の入った木札を取り、次に写真の二つの三日月の形のものを投げ、3回連続で写真のように表が出ればおみくじが読める仕組みになっている。3回出るまで何度でもやり、ダメなら木札を替える。ミナはなんと最初に3連続表が出て一発でOKとなった。じょしゅも割合早くに出てOK.。マリは何回やっても3連続にならず、その運の悪さにあきれたガイドが「じゃ、一回揃ったらOKとしましょう!」と安易な提案をして、それでも何回か後にやっと表が出て、めでたくおみくじは終了した。結果は3人の中ではじょしゅが一番良く、願い事は何でも叶い、お金もどんどん入ってくるそうだ。しかしその日は12月30日・・・これって今年一杯の話?。それにここは台湾だし・・・。

 夜はフカヒレの超有名店「頂上」・・・これもマリのリクエストだ。金の掛かる女だ!。値段も相当いい。客は私たちの後ろも横も日本人だ。メニューも日本語・・・もっとも台湾のレストランは日本語メニューも多いし言葉も通じるが・・・。

はい、当店名物フカヒレスープ!

ほい、変わったところで魚の胃袋のから揚げ!

 食事のあとはお決まりのショッピング。台北一の服飾市場だ。とんでもなく広いが、全部が服の店で、もちろん人も多い。いったい台湾の人たちはなにを考えているんだ!。しばらくして我々はミナマリとはぐれてしまった。

 ただ好ましいことは、中国と違って道に唾や痰を吐いたりする人が皆無なことだ。そういう意味でもここは中華であって中国ではないし、より日本的だ。教育も非常に日本的で、大体中国と違って非常に友好的なのだ。だから歩いていてもすごく安心できるし、治安は良い。温暖で小さい島国で貧困もそんなにはないからだろう。

一元は3.6円です

夜は繁華街好きのミナマリを賑やかそうな場所で下ろし、我々はホテルに向かった。しかし寝るには少し早かったので少し周辺を散歩しようということになり、二人で街を歩いた。しかし我々が訪れたこの日は寒く、台湾では最低に近い8℃ぐらいまで気温が下がった。最低気温が10℃を切ると、台湾では必ず何人かの凍死者がでるそうだ。温暖な地なので暖房設備が整っていないのだろう。反対に我々には適温だ。

 台北の町は元気だ。あらゆるところにこんな屋台があり、けっこう賑わっている。台湾では自宅で食事を摂る人があまりいないとガイドが言っていた。だから街のいたるところにいろんな屋台があるのである。値段も相当安い。

 次の日は昼まで自由時間だったので4人でホテルの近くの街をぶらついた。朝市が開かれていて、ある意味で私はここが一番面白かった。なんとなく昔の日本の街を思い起こさせる風情がある。輪島の朝市くらいの規模だ。

 アメリカンチェリーの横にこの和風なサクランボが売っていたので買った。美味しかった。我々が日本語でしゃべっていると時々老人が流暢な日本語でしゃべりかけてくる。この人たちは子供の頃、日本語を習い日本の教育を受けた。というより、日本人として生きていた人たちだ。だから日本語に触れると郷愁が沸くのだそうだ。そして日本語を、本当に楽しそうにしゃべる。

 魚屋さん・・・おお、大陸スズキだ!。

台湾の郵便屋さんは緑色

ハッハッハ・・・しょしゅよ、ここで働きなさい!

おお、この寒いのにおっさん、素手に素足・・・

昼は台湾でも有名なシャオロンポウの店。ものすごく賑わって大混雑だ。一時間待ちは当たり前、予約をした我々ですら15分ほど待たされた。実際私としてはもう中華料理に辟易していたのだが・・・う、旨い!薄皮に包まれた肉からは肉汁がタップリ。なんでも材料の仕込みで、最後の秘密の調味料だけは今でも社長が自宅で行っているという噂だ。この店の姉妹店が名古屋にもあるそうだが微妙に味が違うとも・・・。完食!。

 最後にじょしゅに免税店でとどめのバッグを買わされ、やけくそで撮った写真・・・もう十分です、さあ帰りましょ!


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