東尋坊
その日は私だけがバイクに乗り、助手とK君夫婦とその子供たちは車に乗り、私の後に付いて走っていた。昼間は海に潜り、夜に三国海岸の町営温泉でゆっくりしたあとの、夜の10時過ぎの話である。そのあとキャンプをし、花火で遊ぶ予定だったので、テントを張るのに適当な場所を探していたのだ。私がバイクを止めて降りてゆくと、後ろに乗っていたK君夫婦が「さっき東尋坊の入り口あたりで、女の人が倒れてた・・・いや、マネキン人形だったかも・・・」と、言うではないか。マネキン人形がそんなところに落ちているわけは無い。多分それは人間に違いない。不吉な予感を感じながらも私は戻って確かめることにした。助手も「行こう!」と言う。三国方面に戻り、ちょうど東尋坊の崖に行く分疑点に差し掛かると、確かに赤いスカートを履いた女性が仰向けに倒れていた。K君と二人で近づいて見ても・・・ピクリとも動かない・・・。全体に細い手足、顔の色も血の気が無い・・・死体か???。正直言ってこの時の私の心臓はドキドキと鼓動していた。もし、死体だったらどうしよう・・・警察を呼んで、いろいろなことを聞かれるんだろうなぁ・・・実際、こんな現実的な考えが胸に浮かび、「おっくうに」なっている自分を見出したが、これは単に「死体を発見したかも知れない」という恐怖から、現状を投げ出してしまいたいという衝動を感じたせいだろう。しかし、この状況でまさか逃げ出すわけにも行かず、緊張感で心を震わせながら恐る恐る近づいていってよく見ると、胸が微かに呼吸しているのが見えた。「生きている!」・・・生きていることが分かってホッとしたかというと、そうではない。今度は倒れている人物に対する猜疑心がムクムクと頭をもたげてきたのである。何故、こんなところに倒れているんだろう・・・。いったいどこの誰なんだろう・・・。とりあえずさらに近づいて、声をかけた。「大丈夫ですかー?」・・・二度、三度声をかけた時、それまで動かなかった女性の、頭の上に置かれた右手がスーッと下に動いた。正直に告白すると、この時が一番怖かった。女性は起き上がろうとしてごくゆっくり頭を上げようとしているが、実はこの時右手に止めた車のライトがちょうど女性の顎の辺りから顔を照らし・・・そう、(彼女には悪いが)実に気味の悪い形相に写っていたのだ。普通なら起きようとしているのだから肩を抱えてやるとか、手助けをするのだろうが、私もK君も手が出なかった。夜中にこんなところに倒れているのは・・・ひょっとしたらゾンビかもしれない・・・。こんなあとで笑ってしまうような考えが実際に心に浮かんだのだから仕方が無い。息を呑んで見つめていると、やっとの思いで女性は歩道に座った。年のころ60半ばだろうか、生気の無い、青白い顔でうなだれて、無言でうずくまっている。
「どうしたんですか?」私は尋ねた。最初彼女は俯いたまま何も答えなかったが、そのうちに小さな小さな声で、「東尋坊は・・・どっちですか・・・?」と、初めて声を出した。「東尋坊?すぐそこですけど?」と私は左手を指差し、何も考えずに答えた。顔を見て、声も聞き、とりあえず人間であることが分かると私も落ち着いた。あとはどうしてここに倒れていたのかという事情を聞かなければならない。と言って何を聞けばいいのか・・・。ひょっとしたら少し頭が変な人かもしれない。「どこから来たんですか?」という問いには福井からです・・・と小さな声で答える。彼女はそして「ごめんなさい」と言い、「もう(私にかまわずに)行ってください」とも言ったが、表情もしゃべり方も、ただならぬ気配である。「東尋坊には何をしに・・・」ここで私はこの自分の問いに自分でハッ!とした。そして彼女の返事も予想通りであった。彼女は目を伏せ、苦しげな表情で、やっと聞き取れるかどうかというぐらいの声でこう答えたのだ。「・・・もう、なにもかも・・・イヤになって・・・」。私はこの時初めて現実に直面した。彼女は自殺すると言っているのだ!。考えてみれば奇岩絶壁の東尋坊は自殺の名所でもある。断崖のあちこちに「思い直せ」とか「相談はここに・・・」とか立て札が立っている。頭から一瞬、血が引くのを感じた。・・・ど、どうしたらいいのか!?。「ちょっと待って、今警察呼ぶから・・・」。かろうじて頭に浮かんだままを声に出すと、彼女は力無く首を振りながら、「警察に連絡すると家族を呼ぶから、呼ばれると私が困るから・・・」と言う。だからこのまま捨て置いてくれと言うのである。「そんなわけにはいかないよ!」・・・このあたりから私は冷静になっていた。自殺すると言う人を置いてこの場を立ち去るわけには断じていかない。それに彼女は、しゃべり方を聞いても頭が変な人でもない。K君が「警察を呼んできます」といって車に向かう。代わりにK君の奥さんのM子が降りてきて、事情を聞くと、目から涙をあふれさせた。それを見た女性はしきりにM子に向かい「ごめんなさい、泣かないで・・・ごめんなさい・・・」と繰り返していた。私はそれを見て、「あぁ、この人はやさしい人なんだ」と思った。私は彼女を、哀れんだ。この世はやさしい人ほど傷つくように出来ているのだ。後で分かったのだが、彼女は右目の下に青痣を作っていた。おそらく殴られた跡だろう。やったのが旦那か、息子かは分からないが、今巷間を賑わすドメスティックヴァイオレンスかも知れない。しばらくして車が2台来て、1台は警察だった。もう一台は彼女を我々より先に発見して警察に連絡したカップルの車だった。警察は手馴れた様子で事情を聞き、私も聞いたことを説明した。特に家族に会いたくないと言っていることは強調しておいた。彼女の言うように警察が家族に連絡して彼女を家に戻してしまったらおそらく元の木阿弥になってしまうだろう。最後に彼女が立ち上がった時、私は思わず彼女の手をとり、「がんばってね、死ぬなんて言っちゃダメだよ」と励ましていた。自殺するなんて人には会ったことが無かったが、やはり世の中にはこうして苦しんでいる人が一杯いるのだろう。彼女がこのまま簡単に幸せになるとは到底思えないが、こうやって関わった人間の励ましが僅かでも彼女の「生きる」力になってくれたら・・・と思う。警察には言わなかったが、実は彼女は私との会話の中で、ポツンとこう言っていたのである。「力がなくなってここに倒れていても・・・誰も助けに来てくれなかった・・・」と。これは裏を返せば「誰かに助けて欲しかった」と言っているに等しい。これはまだ生きる力が彼女の中にあるという証でもある。なんとか生きて、いつか幸せを感じて欲しいものだ。
ところで問題は助手である。私とK君が恐る恐る彼女に近づいている時、恐怖のあまり車の中でドアをロックしてなりいきを見ていたそうである。自分から「行こ!」って言っておいてコレである。そのうえ呆れたことに一件落着のあと、私が元の場所に戻り、テントを張ろうと言うと、助手を筆頭に全員がもうキャンプはやめて家に帰ろう!と一致団結したのである。びびりもココまでくると笑ってしまうが、ま、今の時期、バイクで夜ぶっ飛ばすのも悪くないか・・・と思い、そのまま趣味千山に引き返した。帰り道で、私の脳裏には彼女の寂しそうな顔が焼きついて離れなかった。
040808