touring diary 10/16・17


10/16

 この日は実は魚菜と船を出してジギングの予定だった。で、朝の7時に起きて波浪情報を見ると、なんと2メートルから3メートル、明日はもっと高くなる・・・との状況であった。早速魚菜にTELをすると、『波が高そうですね、ヘラヘラ・・・』と嬉しそうに笑っているではないか・・・。以前ならいかにも残念という感じだったはずだが・・・。波が高ければ釣りは出来ない、釣りが出来なければバイクに乗るしかない・・・こんな発想でニヤついていることはすぐに分かった。何故それが分かったかと言うと、私もまったく同じことを考えていたからだ。『どこに行く?』『どこでもいいですよ!』『じゃ、紀伊半島一周しようか』『ええですなぁ・・・(魚菜)』こんな具合に話がトントン拍子に決まった。11時に魚菜宅に集合と相成った。

 一志嬉野インターから多気勢和インターまでは高速道路を使い、後は延々と42号線を走ってゆく。3年ほど前に車で串本まで行ったことがあるが、その時はとんでもなく遠いと感じた。今回はその『遠い』という感覚が却って楽しく感じられる。考えて見れば私の場合、車というのは単に目的地にまで到達するための手段。バイクは乗ること自体が楽しい乗り物なのだから、目的地が遠ければ遠いほど楽しいのは当たり前だ。快晴の中、海と山の景観に溶け込みながら、気持ちよく走る。

 最初魚菜が先頭に立ち走っていたが、遠慮しているのかおとなしい運転をしている。ま、安全運転だから良いのだけれど、ここはもうちょっとキビキビ走ってもいいだろう。交通量もさほど多くない。で、私が先頭に立ち、少し気合を入れてアクセルを回してやった。ミラーを見ていると、ダッシュこそ出遅れるものの(能力上仕方ない)、けっこうついて来る。250cc油冷のエンジンは30馬力で、車体重量も軽いので取り回しも良い。100km/h程度までならそんなに大型車に引けをとらないことは私もセローで分かっている。その後魚菜に先頭を譲り、助手の後ろを走っていると、解き放たれた犬のように、あっという間に視界から消えた。魚菜がスピード狂であるのは以前どこかに書いた。ついに魚菜はその本性を剥き出したのである。こうして抜きつ抜かれつしながら走っていると二人とも助手のことを忘れてしまう。本来ならどちらかが一緒に走ってやるのがマナーかもしれないが、若いねーちゃんならともかく、本性に火がついた魚菜がそんなことを考えるわけもなく・・・かくしてエストレアに乗った振り向きもされない 哀れな中年女は・・・哀愁を漂わせながら、たった一台でポンポコポンポコ走るのであった。

 あっという間に、七里御浜に着いた。三重県最南端である。この先新宮、勝浦は和歌山県となる。とにかく天気が良いのが一番だ。左手に青い海、右手に緑の山・・・紺碧の空の下、我々はそれぞれに、それぞれの思いで風を切って走ってゆく。勝浦温泉に入ろうとか、那智大社に詣でようとか・・・誰も言わない。ただ走ることが快感で、後のことはどうでも良いのである。ただ明日の夜の7時までに魚菜が絶対に家に帰らねばならない・・・これに遅れると今後魚菜がバイクに乗れな くなるかもしれない・・・という恐ろしい(そしてややバカバカしい)事情があり、少しばかり先を急いでいたことは事実である。この日はまだ紀伊半島一周にどれくらい時間がかかるかを計りかねていて、とりあえず我々は『走れメロス』となって先を急いだのだ。

 串本に着いたのが3時半。魚菜の家から4時間チョイで着いてしまった。バイクはやっぱり早いわい。写真のここは串本の大島。きれいなスパイラルブリッヂが架かり、気持ちの良い道が出来ている。こんな磯のサラシ場(白波の立っている岩場)を見ると、私も魚菜もふとアングラーに返り、そのサラシに潜むであろうヒラスズキに思いを馳せるのであった・・・。そう言えば今年はバイクバイクに明け暮れてぜんぜん釣りに行っていない。この辺りはアオリイカでも有名なところだ。一週間ほどノンビリとバイクで釣りツーリングをしてみたいものだ。来年はちょっと計画を立ててみよう。

 串本で給油し、白浜の先、田辺を目指して走る。日置川を越えて少し行ったところで日が落ち始めた。美しい夕日だった。太平洋側の夕日を見たのは本当に久しぶりだった。暗くなってから田辺市に着いた。土曜日にもかかわらず、宿もすぐに見つかった。この辺りは大阪からも名古屋からも一番といっていいほど遠い地だ。すぐ隣に南紀白浜があるし、観光客で超満員、ということは無さそうだ。バイクを駐車場に止め、3人で飯を食い、うまいコーヒーを飲み、そのあとホテルに戻った。魚菜と 薄い壁一枚の隣合わせの部屋だったので、すぐにTVをつけた。魚菜が見るポルノビデオの音が聞こえてこないように・・・である。アメリカでバイクを作って売っている人(バイクビルダー)を取り上げていたので見ていたら、知らぬ間に眠ってしまった。


10/17

 朝起きて飯を食い、8時に出発した。当面の目的地は和歌山だ。和歌山には今年の春の一風主催の山菜OFFで知り合ったmihokoが住んでいる。ツーリングというのは勿論、走っているだけでも楽しいが、こうして各地に住むHP仲間を訪ねたりしても、それはそれで楽しいものだ。どこどこへ行こう・・・というのもいいが、そこに住むだれそれに会いに行こう・・・というのもオツなものなのである。42号線というのは海沿いに作られていて、広く、大変気持ちの良い道である。とくに南部の走り易さは格別で、風景も良い。

 ところで走りに目覚めた魚菜は昨日の後半あたりからだんだんと図に乗り始め、今や黄線であろうとバンバン追い越し、走ってはいけない歩道を走り、赤信号を無視し、暴走族となんら変わらない走りをしている。一見大人しくて真面目そうな・・・実はこれが真の魚菜の姿なのであろう。こんな走り方をして、事故で死んで、かーちゃんを喜ばすことにならなければ良いが・・・。

mihokoが魚菜に寄り添って立っているように見えるのは錯覚か・・・?

 和歌山にたどり着いたのが、mihokoとの約束の10時を30分過ぎていたのは渋滞のせいである。やはり都会は時間の計算が出来ない。遅れたにもかかわらず、mihokoはニコニコして待っていてくれた。ナントカという粋なパン屋で、私はモーニングセットを食べる。mihokoと魚菜はケーキセット。そして助手はモーニングセットとケーキ・・・。ううむ、恥ずかしいヤツだ・・・。mihokoも一風ワンコ組合のつながりだけあって明るく、テンションの高いしゃべり方をする。私はこういうのは聞き流すタイプなのでmihokoも拍子抜けしていたようだ。「もっと突っ込んでくれな・・・あかんて!!」こんな危ない発言を関西弁(和歌山弁?)で言われると、困ってしまう僕なのでした。ところで後で掲示板を見ると、私はシャイなので考えてることと口で言ってることがつい違っちゃうの・・・と書いてあったが、それによると30分遅れて到着した時ニコニコしていたのは、実は内心怒っていたのであろうか・・・。

 もっとゆっくりしていきたかったが、なんといっても我々は走れメロス軍団なので、早々に出立した。mihokoも「え〜7時までに松坂までは無理でしょう・・・」などと脅すものだから、魚菜がそわそわしはじめたのである。

 国道42号線は松坂からこの和歌山までだ。我々は全線を走り抜けたわけである。和歌山からは42号線がひっくり返って24号線となり、東に向かっている。道は魚菜まかせでブンブン飛ばす。以前からやっているが、走りながらデジカメで撮るのはけっこう難しい。左手のグローブを外して勘でシャッターを押すのだが、右利き用に作ってあるので難しいのである。しかし成功すると こんなけっこう臨場感のある写真が撮れる。

 途中でだいたいの時間が読めてきた。思いのほか早く到着しそうなことが分かって心に余裕が生じた魚菜が、高見峠を過ぎた辺りで『虹の泉』という創作空間に連れて行ってくれた。東健次という男が陶器で作った美術空間で、この地に作り始めてもう27年 (!)にもなるという・・・。

 製作者本人が横で作業をしていて作品を見ていると話しかけてきた。いろんな奇人変人を見てきたが、彼も相当な線まで来ている。彼がぜひ読んでくれといった本を、実は先ほど最後まで読んだ。若いころから、この創作をやり始めるまでを、素朴なタッチで書いてあった。とくに陶芸を目指して瀬戸に移り住んだ頃の話は、私の師匠のM氏(元瀬戸の陶芸家)の昔話と良く似ていて、いちいちうなずけるものであった。人は自分が何がやりたいのかを知るまでに時間がかかる。時間がかかってもそれがわかる人はまだ幸せだ。一生かかってもそれがわからない人もずいぶんいることだろう・・・。そういう観点から見れば、東氏は幸せ者だ。しかし別な意味で、私の見た彼の顔は曇っていた。その理由が私にはなんとなく分かった。彼についてはまた何か書く機会もあるかもしれない。

 そのすぐ下の蕎麦屋でさして旨くもないうどんを食い(何故三重県には旨いうどん屋が無いのだろう??)、我々は松坂を目指して出発した。

GYOSAI ON DJEBEL

 最後の行程は魚菜の計らいで助手が先頭を走った。ところが道は広くて追い越し禁止でもないのに、70km/hで走る白いセダンを抜かせずに延々とピッタリ後ろにくっついて走る助手・・・。この不気味な走りにたまらず白いセダンが横に寄って先に行かせてくれる・・・。私は時々見通しの良い直線になると、エンジン全開で助手を抜き去っては遊んでいたが、いつもはイライラする助手の走りも今日はそんなに気にならなかった。多分二日間とも天気が最高だったから、だと思う。松坂で別れた魚菜も無事5時ごろに家に着いたようだ。我々はそこからまだ岐阜まで110kmほど走らねばならない。

今回は二日間で800km超走った。


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