touring diary2007 5/4              さよなら、餘部鉄橋


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 兵庫県の餘部(あまるべ)というところにかかっている山陰本線の鉄橋・・・1980年代に強風のため列車が脱線転落し、何名かの命が失われて(回送列車だった)、皮肉にも有名になったというか、私も存在を知ったのである。日本一高い鉄道の鉄橋ということだが、今年一杯でコンクリートの橋に架け替えられることになった。つまりはもうこの橋がが見られなくなるということだ。冬に買ったバイク雑誌でこのことを知り、私はこの鉄橋を写真に撮って残したくなった。距離も300km程度でさほど遠くない。連休の後半に、最初はバイクで出かける予定だったが、5日が天気が悪いとの予報で、考えた末、ポンスケ3号にAPE100を積み込み、出発した。

 6:30に出発して、東名京都東ICから福知山に抜け、豊岡辺りからAPEを下ろして走った(3号はじょしゅが運転)。178号線を鳥取方面に走ると、やがて餘部鉄橋が目の前に姿を現す。皆、同じ雑誌を見たんじゃないかと思うくらいバイクも多い。下から見るとまさに圧巻、作り方が今の鉄橋と違って確かにノスタルジックである。なんでも、アメリカのブリッジカンパニーのペンコイド工場で作られ、3ヶ月かけて船で運ばれたらしい。三年がかりで総工費331,535円!・・・ただし完成は明治45年だが。

 橋梁は高さ41m45cm。右手の山の上が餘部駅になっており、そこに向かう人が数珠繋ぎになっている。乗ろうというより、写真に撮りたいという人たちだ。写真愛好家の中ではこの鉄橋は昔から有名であったらしく、とりわけ今年はこの鉄橋がなくなるということと、連休とが重なり、多くのさまざまな人がカメラや三脚を抱えて駅に向かっているようだ。我々も駅まで登ったが、撮影ポイントではごらんのような人だかり・・・皆、ぽつぽつとやって来る電車を待って、スタンバイしているのだ。

 ここは海の際の断崖に作られており、当時は30戸あまりの寒村で、陸路も無く、資材は全部船で運ばれたそうだ。確かにこの美しい海と切り立った山にかかる赤い鉄橋は美しく、構造物として人の心を打つものがある。皆、惹かれるから写真に撮っているのだ。無くなると思うと余計いとおしくなるのも人情には違いない。やがて電車がやってきた。

 この電車の前にも電車が来たが、白い電車だった。赤い電車のほうが景色的には面白いと思う。私は人ごみを避けて少し上からシャッターを押した。ここぞという時にみな、一斉にシャッター音が鳴る。何か別のゲームをしているみたいで楽しい。みなそれぞれにそれぞれのこだわりの写真が撮れているのだろう。近くの人が露出だのシャッター速度だのの話を盛んにしている。私はこんなことにこだわらない。いや、正確に分かっていない。だから構図に一番気を配るが、今回の超広角レンズはまったく素晴らしい。視覚以上の範囲をとりあえず撮ってくれるので、あとでトリミングなどがやりやすいのである。色調や光の具合もある程度はあとで変えられるのであまり気にする必要がないのである。コレを進歩と呼ぶのか堕落と呼ぶのか・・・ま、どっちでもいいや!。

 そんなこんなで若干ツーリング記録とは呼びがたいが、一応バイクでここに着いたことと、このあとエイプでけっこう走り回ったのでよしとしよう。それにしても5日は予報と程遠い晴天・・・気象庁、しっかりしろ!

 


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